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東日本大震災から10年 福島の現状と浜岡原発


2021年3月13日

西川 拓 氏

毎日新聞 福島支局長

1967年、兵庫県生まれ。1993年、毎日新聞社入社。佐世保支局、西部本社報道部、福岡総局、東京本社科学環境部を経て2019年から福島支局長。共著の「誰が科学を殺すのか 科学技術立国『崩壊』の衝撃」(毎日新聞社)で2020年の科学ジャーナリスト賞を受賞。

 

非常用発電機の水没、それが事故へとつながった

福島第一原発の事故が起こる少し前は、ちょうど、世界的に原子力を進めようという機運が高まっている時期でした。それ以前は、チェルノブイリ事故などの影響もあり低迷していましたが、新興国が発展し、エネルギーが必要だったことや、原油価格の高騰に加え、地球温暖化の問題も大きくなったため、発電時に二酸化炭素を出さないしくみである原発に、もう一度光が当たったのです。日本でも原発の比率を7割ぐらいまで引きあげようという話がありました。そのような時期に、あの事故は起きました。

あの事故を振り返ってみると、まず、3月11日、午後2時46分に地震が起こり、原子炉が緊急停止しました。鉄塔が倒れ、外部電源を喪失したので、非常用のディーゼル発電機が作動しました。このタイプの原発は簡単に言うと、核燃料が核分裂をするときに出す熱を使ってお湯を沸かし、その蒸気で、タービンを回し、回したあとの蒸気を冷却して水に戻し、またそれを沸かして蒸気にするというように、水を循環させて発電します。

当時、地震で外部電力を失ったため、非常用発電機で水の循環を行い、核燃料の冷却を始めました。ところが、地震発生から数十分後に、高さ15mほどの津波が防潮堤を壊しながら、第一原発を襲いました。それによって、非常用発電機13台のうち12台が水没し、水の循環、冷却ができなくなり、事故へとつながりました。

生き残った発電機は5、6号機用の1台だけで、その1台のおかげで5号機と6号機は冷やし続けることができ、事故を免れました。核燃料は原子炉が止まっても熱を出し続けるので、水の循環が止まると、ためてある水が沸騰して蒸発し、それでも熱が収まらないと、空だきになって核燃料が溶け出してしまいます。1から3号機は水の循環、冷却ができなくなったため、地震当日の夕方以降、炉心が溶け始めました。

 

最悪のシナリオと、今も残る後悔の気持ち

私は当時、科学環境部という、科学と環境問題を取材する部署におり、3月11日は北海道に出張していました。翌12日、朝一番の飛行機で東京に戻り、その足で東京電力の本店に行き、この事故の取材に当たりました。それから1週間ほど交代で泊まり込み、刻々と状況が変わるなか取材を続けました。
一番懸念されていたのは4号機です。4号機は原子炉のなかは空っぽで、屋上の燃料プールに1,500体以上の使用済み核燃料が収められていました。使用済み核燃料も熱を持っていますから、温度が上がれば、空だきになります。屋上は鉄骨とパネルで覆われているだけで、ほぼむき出し状態でしたから、もし、それが溶け出して拡散したら、今の比ではない汚染が起こると予想されていました。

チェルノブイリの強制退避区域レベルは半径170kmで、それに値するのは、水戸、宇都宮、仙台が含まれる広い範囲。さらに、避難が必要とされる半径250kmには、東京、千葉、埼玉、新潟、山形、秋田、岩手が含まれ、約3,000万人が避難するレベルでした。これが当時の総理大臣、民主党の菅直人さんが、原子力の専門家に試算させた「最悪のシナリオ」の内容です。幸いなことに、この4号機の使用済み燃料プールは、隣にあったプールの水が偶然流れ込み、空だきにはなりませんでした。しかし、かなり綱渡りの状態だったと思います。

当時の取材はとても難しく、その理由の1つに、当事者の東京電力がものすごく混乱していたことがあります。ここで、当時の記録音声を聞いていただきましょう。

(録音音声の再生)

ちょうど、記者会見中に3号機が爆発し、東京電力も状況を把握できておらず、混乱の様子が伝わりますね。政府が水素爆発だと言うなら、それでいいじゃないかと、合わせようとするやりとりなどもありました。僕らには、真実を確かめるすべもなく、情報の訂正も頻繁にあり、事態が目まぐるしく変化するなか、このまま手が付けられなくなるのではないかと、恐怖を感じ、日本は終わるかもしれないという思いで頭の中がいっぱいでした。

実はそのとき、すでに、福島では一部の方々の避難が始まっていましたが、僕らは、避難に役立つ情報をほとんど発信できていませんでした。そのため、放射性物質が飛んでいった先に避難してしまった方もたくさんいらっしゃいます。そのことは今でも本当に悔やまれ、原子炉がどうなるかということしか見えていなかったことを、心から反省しています。

 

廃炉作業と汚染された水

次に、現在の福島についてですが、今、原発では、燃料デブリという、溶け落ちた核燃料や、燃料プールに残った使用済み燃料など、放射線を出すものを全部取り除いて、建屋を解体する、廃炉作業を進めています。

3号機と4号機の使用済み燃料の運び出しはすでに終了しましたが、燃料デブリにはまだ手を付けておらず、取り出し方について、調査しながら検討しているところです。今は1、2号機の使用済み燃料と、1、2、3号機の燃料デブリが残っている状況です。しかし、この燃料デブリの取り出しは、世界中の誰にも経験がないことですから、かなりの難関です。30年から40年で廃炉完了というロードマップは示されていますが、恐らく相当遅れるでしょう。また、もう1つ大きな問題として、水があります。
原子炉の、特に地下の部分はかなり壊れ、そこに地下水が流れ込んで溶けた燃料に触れることで、汚染された水が発生しています。これは、事故直後は1日400トンと言われていましたが、凍った土の壁や、燃料に触れる前にくみ上げる井戸をつくるなどの対策を施し、1日140トンまで減らしました。それでも毎日140トンの汚染された水が発生しています。

汚染された水は、ALPSという放射性物質を取り除く装置を通してきれいにし、一部は原子炉へ戻して燃料を冷やす水として利用していますが、残りはタンクにためて、敷地内に置いています。そのタンクの数は1,000基を越え、総量が120万トンほどで、来年の秋には、敷地が全部埋まる計算です。では、それ以降はどうするのでしょうか。
実は、ALPSでも取り除けない放射性物質が1つだけあり、タンクの水に含まれています。それは、トリチウムという水素の仲間で、水(H2O)の2つのHのうちの1つが、3Hに置き換わった形で水のなかに存在しています。これは、ほとんど水と同じ性質なので、区別して取り除くことができません。今後、その水をどうするのかについて、有識者の検討委員会は、大気中か海に薄めて流すのが現実的であるという結論を出しています。海のほうがより現実的ですが、地元の漁協や漁師さんたちは反対しています。

 

福島の漁業を取り戻したい

トリチウムは、実は自然界でも発生していますし、世界中の原子力施設や、この浜岡原発からも稼働中は海に流されていました。トリチウムが出す放射線は非常に弱く、一定のレベルまで薄めれば、環境や健康に影響はないと考えられています。では、なぜ、反対しているのでしょうか。

福島の魚からは、事故後、放射性物質が検出され、漁ができなくなり、漁師さんたちは試験操業をしながら、放射性物質の量を調べ続けてきました。昨年やっと、福島県沖で捕れる全魚種から放射性物質が検出されなくなりました。福島県沖は、もともと非常にいい漁場でしたし、この10年間で魚の資源がかなり回復し、座布団ほどのカレイやヒラメも捕れるそうです。

そのような、これから本格操業に向けて頑張ろうという大事な時期に、この問題が持ち上がりました。今、これが海に流されたら、科学的には影響はないかもしれませんが、おそらく、風評被害で魚は売れないか、買いたたかれて安くなるでしょう。だから反対しているのです。

一方でタンクが置かれた地元の自治体は早く処分してくれと言っており、県内でも意見の相違があります。難しい問題なので、県知事も態度を明確にしていません。国は近々結論を出すと言っていますが、どうするつもりなのか。地元の人々も非常に関心を持って見ているところです。

 

除染後、その廃棄物はどうなる

次に、周辺の汚染された土地についてです。汚染された地域では、事故直後から、放射性物質を取り除く除染作業が始まりました。田んぼや畑は表面の土をはぎ取り、フレコンバッグという袋に詰め、家や建物は壁や屋根に付着した放射性物質をこすって、洗い流します。そのような作業を地道に続けた結果、除染で出た廃棄物の量は約1,400万㎥、除染にかかった費用の総額は4兆円ほどです。

このフレコンバッグは、当初、そこら辺に野積みにされましたが、国が中間貯蔵施設をつくり、集めて保管することにしました。福島第一原発は、双葉町と大熊町にまたがっているので、その周囲に中間貯蔵施設を建設し、野積みされていた廃棄物を県内全域から集めて運び込みました。搬入はほぼ完了し、2021年度中には終わる予定です。
この施設の面積は、双葉町と大熊町を合わせた町の面積の1割強で、町の地主さんたちは、その土地を国に売ったり、貸したりする契約を結んで土地を提供しました。福島県は農業が盛んで、その土地の多くは先祖代々耕してきた田んぼでしたから、ごみ置き場として提供することは、苦渋の決断だったと思います。

しかし、ここはあくまで、一時保管場所であり、最終処分は県外で2045年度までに行われると法律で決まっています。福島ばかりに負担を負わせるわけにいかないということで県外と決めたのです。国は来年度から説明会を実施する予定ですが、これを引き受けてくれる都道府県があるかどうかは難しい問題です。しかし、海沿いのいい場所を、放射性物質のごみが占拠していることは、2つの町の復興をものすごく妨げます。これをどう解決するかは、政治的にも非常に大きな課題です。

その一環として、除染で出た土を再利用し、処分する量を減らそうという動きが出始めています。たとえば、公共工事で高速道路などをつくる際、この土で、のり面をつくり表面をコンクリで固めるとか、農業に利用できるかを調べるために、汚染された土で花や野菜を育て、どのくらいの放射性物質が野菜に移行するか、というような実験も始まっています。

今、福島県内の汚染の状況はだいぶ改善され、放射線量も、外国の都市などとほとんど変わらないレベルまで下がり、地元のみなさんもあまり気にせず、普通に暮らしています。ただ、町のいたるところに測定装置があり、放射線量の数値が常に表示されています。それが福島の日常です。復興もだいぶ進みました。JRの常磐線は、上野から仙台まで太平洋岸沿いを南北に走っていますが、事故後、原発周辺の地域だけは運休したままでした。それが昨年の春、全線開通し、地元のみなさんも、再び一体感が感じられるようになったと喜んでいます。

 

長引く避難生活、戻りたくても戻れない

しかし、一方でまだ多くの方が避難生活をしています。ピーク時には、県内の11市町村、1,150km2ほどの範囲に避難指示が出ていました。徐々に解除され、一番新しい数字では、7市町村、340km2で、まだかなり残っているなという印象です。避難している人の数は県内だけで、ピーク時14万5,000人。現在は3万6,000人弱、その内、県内に避難している方は7,000人以上、県外に避難している方は2万8,500人ほどで、すべての都道府県に福島からの避難者がいらっしゃいます。

また、体調を崩したり、持病の悪化など、避難生活が原因で亡くなった、災害関連死と言われる方が県内に約2,320人おり、今も増え続けています。地震と津波で亡くなった方は県内で約1,600人でしたから、関連死の方のほうが多くなってきています。            見通しがたたない帰宅困難区域

今も避難指示が出ている黄色の区域は帰還困難区域と呼ばれています。菅総理は、たとえ長い年月がかかっても、すべての避難指示を解除する方針と言っていますが、すでに10年が経ち、人の寿命は限られています。ここに家がある方は、戻れるのか、戻れないのか、中ぶらりんな状態です。地元の自治体も早く見通しを示してくれと国に訴えていますが、先が見えない、非常に苦しい状況です。

避難指示が解除されたからといって、すぐに戻れないケースもあります。写真のこの方のご自宅のあたりは4年前に解除されましたが、長いこと家を放置していたため、家が荒れ、リフォームが必要です。しかし、そんなお金はありません。また、周囲には買い物をする場所、病院、学校もありません。そのような状況で戻れるでしょうか?そういう方々に対する支援はほとんどありません。

これは、避難指示が全部解除された市町村の居住状況の一例です。今から7年前の2014年、震災から3年で解除されたところでも住民は約8割しか戻っていません。楢葉町は6割、川内村は8割、南相馬市は5割です。解除されたからといって、すぐには戻れない現実があるのです。

避難指示が解除されても戻れない

これは国道6号線で東北地方の沿岸部を南北に走る大動脈です。原発に近いこの写真のあたりは車は通行できますが、バイク、自転車、徒歩で通行することはまだできません。両側には家や商店がありますが、入り口はバリケードが張られており、持ち主ですら国の許可がないと入れないところがたくさん残っています。

 

求められるのは「深層防護」


ここからは、事故後の原子力政策についてです。よく安全神話と言われますが、その1つに巨大津波のリスクを軽視していたことがあります。事故前に、耐震指針については見直しがありましたが、津波に対しては後回しになっていました。当時、「想定外」という言葉がよく使われましたが、これが今、裁判で問題になっています。避難した方たちが起こした多くの裁判のなかで、この「想定外」の津波を考慮すべきだったかについては、大きな争点の1つです。判決を見てみると、「考慮すべきだった」というものと、「対策を取らなかったことが落ち度とまでは言えない」というもの、どちらも出ています。これは最高裁で判決が確定するまで、法的な責任という意味では決着がつかないかもしれません。

もう1つの争点は、電源の喪失です。原発の設計指針のなかでは、長時間の電源喪失を想定しておらず、「長期間の全交流電源喪失は、送電線の復旧、または非常用交流電源(発電機)での修復が期待できるため考慮する必要はない」と書かれていました。しかし、福島の事故では、全部やられてしまい、すぐに復旧することができませんでした。

また、事故前、電力会社さんはよく、核燃料は「五重の壁」に守られているので絶対に出てこないという説明をしていました。しかし、彼らの言う「五重の壁」というのは、国際的な標準となっている「深層防護」とは意味が違っていました。

「深層防護」というのは、第一段階、異常の発生を防止する。第二段階、異常が発生してもその拡大を防止する。第三段階、異常が拡大しても、その影響を緩和して過酷事故に至らせない。第四段階、異常を緩和できず過酷事故に至っても対応できる。最後は、これに対応できなくても人を守る、つまり避難ということです。

東日本大震災で見ると、女川原発では異常があったけれど拡大を防止できた。東海第二原発では拡大したけれど影響を緩和できた。福島第二原発では緊急事態宣言が出されたけれども対応できた。こういうことが、本来「五重の壁」であるべきだということです。

結局は、津波や過酷事故への対策が適切でなかったということで、事故調査委員会の意見は共通していますが、原子力学会が実施したアンケートによると、事業者を慮って意見が言えなかったという学者さんが多かったようです。

 

続けるための課題、やめるための課題

福島の事故を受けて政府はどうしたでしょうか。当時の民主党政権は一旦、原発ゼロという表明をしましたが、すぐに撤回しました。その撤回の背景を取材したところ、理由の1つに青森県への配慮がありました。青森県は使用済み核燃料を中間的に保管しています。再度、燃料として使う資源として保管しているのです。原発をやめたらそれは資源ではなくごみになりますから、青森県は、ごみを引き受けた覚えはないと言うでしょう。

もう1つは、アメリカです。当時はオバマ政権で、オバマさんは核不拡散に熱心でした。日本は原発で出た使用済み核燃料を再処理して、プルサーマル発電などに使ってきました。日本が持っているプルトニウムに非常に敏感で、プルサーマル発電に使う分には、平和利用なので、文句を言いませんが、原発をやめるとなれば、今持っているプルトニウムは何に使うんですか?という話になるでしょう。

これらの理由で、民主党も原発ゼロを撤回し、規制を強化した上で使うという方向に舵を切ったのだと思います。新たに、独立した規制機関として規制委員会を組織し、原発の規制基準を設け、審査に合格し、地元の合意を得れば動かしていいとしました。ただし、40年を超えた原発については、さらに厳格な審査があり、それ以上使い続けることを難しくするようにしました。

その後、政権が自民党へと交代し、自民党は、重要なベースロード電源という位置付けで、原発を使い続ける方向です。今までの、事故を起こさないための対策に、事故が起こっても、それが深刻な事態にならないようにする対策を上乗せした規制基準をつくりました。

原発では今、たとえば、発電機を積んだトラックを常に高台に置き、電源が失われたときに電源を供給する。また、消防車のようなものを高台に置き、水を供給する。ほかにも、いろいろな対策を二重にするなどして、対策を強化しています。浜岡原発は22mもの防潮堤をつくっていますし、消防車や電源車の配備もして、今、3号機と4号機が規制委員会の審査を受けているという状況ですね。

実は今年は、エネルギー政策、原発政策にとって非常に重要な、エネルギー基本計画という国の基本方針を改定する年です。今のところ自民党は、原発をベースロード電源として、平常的にずっと同じ出力で、土台として使い続けるとしています。今の基本計画では2割ぐらい原発を残し、あとは火力と再生可能エネルギーで賄うとなっていますが、これを今年、どのように見直すのかが大きなテーマです。

原発を続ける場合の課題の1つに、避難の実効性が挙げられます。日本の法律では避難の計画は自治体が受け持っていますが、これで本当に実効性のあるものができるでしょうか。その内容は、立地条件によっても、かなり変わってくると思います。また、2つ目は賠償制度の問題。福島では、賠償や除染にかなりのお金がかかっています。さらに、3つ目として、国民の信頼。世論調査の結果では原発に否定的な意見が多いので、そのなかで原発を残すという決断をした場合、どう理解してもらうのでしょうか。

原発をやめる場合も課題はあります。1つはプルトニウムの問題。使い道のないプルトニウムを持っていると、日本は核武装する気なのかと、外国からあらぬ疑いをかけられるでしょう。2つ目は代替エネルギーの問題。地球温暖化への影響などを考え、再生可能エネルギーということになると思いますが、今の技術で原発に置き換えられるエネルギーを、根拠をもって示せるでしょうか。

どちらを選んだとしても、今ある高レベル放射性廃棄物の最終処分の問題があります。地下に埋めて処分するのですが、どこが引き受けるのかということは、世界中で難航している問題です。このように、いろいろな方面から、原発を使い続けるのか、否かについて考える必要があります。一長一短あり、簡単には答えが出ないので、国民みんなで真剣に考えなくてはいけません。

 

事故で失われたもの、それは・・・

最後に、私が忘れられない光景についてご紹介します。私は2012年10月、事故後初めて福島第一原発の中に入りました。原発のなかは爆撃されたかのような、本当にひどい状態だったのですが、実はそれよりも印象に残っていることがあります。

それがこの黄色い景色です。この辺は津波が来なかったので、家やお店などはそのまま残っていました。たとえばホームセンターのなかは、当時のまま商品が陳列されており、今にも人が出てきそうでしたし、家もあまり壊れていませんでした。しかし、避難指示が出ている区域でしたので、当然、人っ子一人いません。

ちょうど10月だったので、私は最初、それを遠くから見て、田んぼに稲が実っているのかと思いました。しかし、3月に避難したのですから、田植えなどしているはずがありません。バスがその場所に近付いていくと、それが全部雑草だということがわかりました。セイタカアワダチソウの黄色い花が咲いていたのです。

事故から1年半後、人の姿はなく、家、畑、田んぼ、すべてが雑草で覆い尽くされたこの光景は胸に迫るものがあり、この事故で失われたのは、人々の日常なんだということを強く実感しました。私は今、福島に暮らしています。これから、国の大事なエネルギー政策の方針が決まりますが、この景色だけは、けっして忘れたくありません。

 

質疑応答

男性A「人類にとって処理できないものを10万年、100万年というレベルで保管できるかは疑問です。なぜ、やめる方向にいかないのでしょうか?また、福島の洋上風力発電が破綻したという記事を見ました。再生可能エネルギーがうまくいかない理由は何でしょうか?」
西川氏「私も事故が起こる前までは、今、必要なエネルギーを賄うために原子力は必要だと考えていました。事故後の現在もその結論は、私個人としても出せていません。再生可能エネルギーが安定的に供給でき、コストも安くなれば別ですが、現状では難しいとも思っています。再生可能エネルギーがなぜ伸びないかについても、一言では言えません。本気になればできるかもしれません。」

男性A「原発を動かさなくても、日本はやっていけるのではないでしょうか。」
西川氏「しかし、原発がなければ、ものすごいお金をかけて火力を動かしますね。そういうバランスをどう考えるかが大事です。原発の問題は反対か推進かとなりがちで、議論が深まらない気がするので、もう少しフラットに考えたいなと思います。」

男性B「電源は必要ですが、地震国にこんなものをつくるべきじゃないということを前提でやったほうがいいと思います。」
西川氏「ご意見としては承りました。そういうことを含めて、みんなで考えて結論を出さなければいけないと思っています。」

 

 


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