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一年中「8月ジャーナリズム」第二編 戦没者遺骨の戦争史~未完の戦争


登壇者

2021.8.21

栗原俊雄 氏

毎日新聞社 学芸部専門記者

1967年生まれ、東京都板橋区出身。早稲田大学政治経済学部政治学科卒、同大学院修士課程修了(日本政治史)。1996年入社。横浜支局などを経て2003年から学芸部。専門は日本近現代史、戦後補償史。元特攻隊員や空襲被害者、シベリア抑留者ら戦争体験者や遺族への聞き取りを15年続けている。著書に『戦艦大和 生還者たちの証言から』『シベリア抑留 未完の悲劇』『東京大空襲の戦後史』(以上岩波新書)『戦後補償裁判』(NHK出版新書)など。2009年 第3回疋田桂一郎賞(新聞労連主催)、2018年 第24回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞(同基金主催)。

 

戦争は昔話なのか?


一般的なメディアが戦争について報じるのは主に8月で、戦争体験者を探して話を聞き、戦争だけはしてはいけないという話でまとめるのが1つの文法です。それはすごく重要なことですが、最近のメディアはそれすらできなくなってきています。テレビも新聞も枠が決まっており、急には増やせません。報ずべきニュースが増えれば、その分こぼれ落ちるものもたくさんあるのです。

今年の夏はコロナとオリンピックがありました。戦争報道をするには、なかなか厳しく、毎日新聞は頑張ったほうですが、メディア全体ではあまり盛んではありませんでした。それでも戦争報道は重要であり、8月だけでもしていくべきです。ところがその枠を確保することが難しい。なぜなら、多くのメディアの人間が戦争は76年前に終わった昔話だと思っているからです。

戦争は終わっていません。抽象的な意味ではなく、物理的に終わっていないのです。先日、黒い雨の訴訟がありました。国はできるだけ原爆被害者の補償を広げたくないので、今まで、補償の範囲をずっと絞ってきていました。先日の裁判でようやく、もう少し広げるべきだとなり、国も控訴を断念しました。国が見捨てた被害者はたくさんいて、今も皆、戦っています。

僕がやっているのはまさにそこ、戦後未補償問題であり、戦争は未完だということです。僕は常夏記者を自称しているのですが、なぜ、常夏かというと、ほかのメディアが8月にやっている戦争報道を、一年中やっているからです。3年ほど前に、同僚が僕をからかってそう呼んだのですが、僕は「常夏記者、いいじゃん」と思い、キャッチフレーズのように使っています。僕のやっている戦争報道と一般的な8月ジャーナリズムとの違いは、戦争は未完だと言っているところと一年中やっているところです。

 

言論の自由があり、個性を大事にしてくれる

僕は毎日新聞の社員ですが、毎日新聞のいいところは、言論の自由があり、個性を大事にしてくれるところです。僕が所属している学芸部は、大学の先生や専門家へのインタビューや原稿依頼、また、古典芸能、音楽、映画などを見聞きし、評や書評を書くというようなことがメインの仕事です。しかし、僕は戦後未補償問題をメインにやっています。これは本来、社会部の仕事ですが、僕の個性を大事にして、やりたいことをやらせてくれています。

言論の自由については、たとえば、2019年4月の記事です。天皇が上皇に変わるとき、毎日新聞は前の宮内庁長官の思いを記事にし、見出しは『「理想の象徴築いた平成」』としました。前長官が「先代の天皇は象徴天皇の理想を築いた」とおっしゃったという意味です。新聞というのは、何回かに分けて印刷するのですが、実は、締め切りが早い早版の段階では『「理想の象徴」築いた平成』という見出しになっていました。この2つの違いが分かりますか?

僕はその日、学芸部のデスクだったので、早版が印刷されたあとの会議で「これは再考の余地があるのでは」と発言しました。「理想の象徴築いた平成」というのは前長官の認識でしょう。しかし、カッコの位置を『「理想の象徴」築いた平成』とすると、毎日新聞が「理想の象徴」を認定したようにとられてしまいます。象徴天皇制のあるべき姿、「理想」については考え方がさまざまあります。毎日新聞社内でもそうでしょう。前宮内庁長官にとっての「理想の象徴天皇像」は必ずしも読者すべての認識ではないし、毎日新聞全体の認識とも限らない。だから僕は「カッコの位置が違う」と指摘しました。そして、最終版では『「理想の象徴築いた平成」』となりました。前長官が主観的にそう考えているということを伝える見出しになりました。何が言いたいかというと、このような議論ができるいい会社だということです。

 

証拠として認定された診断書

ここから、戦後未補償問題の1つ、戦争PTSDのお話をします。戦争PTSDについての研究は、日本では、ほとんど進んでいません。本来なら調査・研究し、ケアしなくてはいけませんでしたが、まるでやっていませんでした。ようやく2010年代を越えたあたりで、僕も関心を持つようになりました。

日本人だけでも約19万人が亡くなった沖縄戦では、両親を殺されたり、心身に傷を負ったりした民間人が多くいますが、なんの補償もされていません。国から切り捨てられた被害者たちは補償を求めて裁判を起こし、80歳を過ぎた70人以上の原告が2018年まで戦っていました。しかし、那覇地裁、福岡地裁那覇支部に負け、最高裁に門前払いされました。

裁判には負けましたが、この時79人の原告のうち、39人が精神科医の診察を受け、うち実に37人が戦争に起因するPTSDと診断されました。そして「沖縄戦によってPTSDなどの精神障がいを発症した」という精神科医の診断書は、裁判の資料として認定されました。これは画期的なことです。学問やジャーナリズムができなかったことを、医学が成し遂げたのです。

診断したのは福岡でクリニックをされている蟻塚医師で、2000年代に沖縄に赴任した際、精神科を受診する沖縄のおじい、おばあたちに、一定の症状があることに気付いたそうです。たとえば「飛行機の音がすると心拍が上がる」、「花火のようなパッとした光を見ると記憶が混濁する」というような症例を何十人も診るうちに、これは沖縄戦と関連があるかもしれないと思い、戦争体験を聞くことにしたそうです。すると、それまで聞き手がいなかったために語られてこなかった体験を、皆、語り出し、それらを基に作成した診断書が証拠として認定されたのです。

 

未完の戦争の象徴「戦争PTSD」

沖縄戦と並行して南洋戦についての裁判も行われました。日本は戦争で負けるまで、太平洋にいくつかの植民地を持ち、フィリピンなどに移住した人も多くいました。それらの人たちは、サイパンやフィリピンなどで戦争に巻き込まれ、多くの被害を受けました。戦争で家族を殺され、財産を全て燃やされ、身ひとつで帰国しましたが、なんの補償も受けていません。そのことについて、45人の原告が裁判を起こし、2020年まで戦いました。しかし、これも最高裁で門前払いされました。45人の原告のうち、28人がPTSDと認定されています。

取材中、目の前で艦砲射撃を受けて母親を亡くした方や、機銃掃射を受けてけがをした母親をおいて逃げなければいけなかった当時5歳の女性の話など、本当にひどい話をたくさん聞きました。どうでもいい記憶は、年を取るごとにどんどん後退化していきますが、蟻塚医師によれば、戦争PTSDには、晩発性という特徴があり、年を取るにつれて記憶が鮮やかによみがえるそうです。年を取ると、大黒柱としての役割、パートナー、友達など、多くのものを失いますよね。そのような状況のなかで、戦後70年近く経ってから、つらく鮮明な記憶が立ち上がってきて、発症するというのです。このことは裁判がなかったら表に出ず、知られることはなかったでしょう。戦争は終わっていないのです。

PTSDを抱えている人が大勢いるなか、国はなんの調査もしていません。たとえば、静岡や東京でもひどい空襲がありました。目の前で家族が殺され、当然、大勢の方がPTSDを発症している可能性があります。しっかりケアをして、補償すべきです。これは未完の戦争の象徴です。しかし、僕が知る限り、今までこの問題をきちんと扱った報道も、アカデミズムもほとんどありません。これから僕がやっていきます。

 

遺骨の正しい数え方


ここからは昨年の続編として、戦没者の遺骨の話をします。第二次世界大戦では、日本人だけで、推定310万人の人が亡くなりました。政府はこれまでに、127万体の遺骨を収容したと言っていますが、100万体以上の遺骨は行方不明のままです。127万体のうち、政府の派遣事業で収容されたのは40万体足らずであり、残りの大多数は、遺族や戦友が手弁当で収容しました。遺骨をどのようにカウントしたかについて、政府は全く把握していません。実際は127万体より少ないと確信しています。

遺骨の数え方は難しく、たとえば、集団埋葬地で20体、30体が埋まっていた場合、頭蓋骨なら頭蓋骨、右の大腿骨なら右の太腿骨と決めてカウントしなければ、同じ栗原の頭蓋骨と太腿骨を、2人分と数えてしまうかもしれません。今は、厚生労働省の基準ができ、それに従ってやっていますが、30年から50年前に収容したときは、どうだったでしょうか。ご遺族の方は1体でも多く収容したいという気持ちがありますから、1人の骨をダブルカウント、トリプルカウントしてしまっていた可能性があります。つまり、127万体収容したことの確証はなく、科学的に証明することもできません。

 

その骨は全て日本人か?


さらに、硫黄島や沖縄、ガダルカナルのような激戦地、日米両軍入り混じって戦っていたような場所で収容した遺骨が、全て日本人と言えるでしょうか? 今、科学的に遺骨の身元を特定する方法はDNA鑑定しかありません。遺骨の歯から採取したDNAと遺族とおぼしき人の口の粘膜などから採取したDNAをマッチングする方法で、2003年から専門家による鑑定を開始しました。すると2019年、それまで厚生労働省が、シベリアから日本人の骨として収容し、日本に持ち帰ってきた骨のうち、約600体が日本人ではないと判明したことが明らかになりました。

DNA鑑定というのは、人種を特定するものではありませんが、データが積み重なっていくうちに、日本人の墓地と思われるところから掘り起こしてきた遺骨が、日本人ではないようだ、ということが分かってきたのです。実は、以前から、本当に日本人なのか?と疑われてはいたのですが、それが科学的に証明されたのです。

専門家たちは厚生労働省に何度も指摘しました。しかし、それは無視され、日本人ではないと判明した約600体のうちの半分以上は、千鳥ヶ淵の戦没者墓園に日本人の遺骨として納められました。これはとんでもない失態です。その遺骨にだって遺族がいるのです。本来なら、指摘を受けたときに、きちんと調べるべきでした。このような間違いが起きたのは、シベリアだけでしょうか? 沖縄、硫黄島、ガダルカナル、サイパンなどで収容した遺骨にも外国人の骨が入っているだろうということは容易に想像できます。

 

進まぬDNA鑑定

硫黄島 

科学的に身元を特定する唯一の手段がDNA鑑定です。2003年から今まで、1000件以上の身元が判明し、そのほとんどは、シベリア抑留で亡くなった人たちです。2019年の時点で、硫黄島では1万体の遺骨が収容されていましたが、身元が判明したのは、たったの2体。沖縄では18万体収容され、たったの4体です。このように少ない理由は、DNA鑑定を実施する条件が非常に厳しいからです。

厚生労働省が課した条件は、遺骨と一緒に、身元が推定できる遺品が出た場合か、埋葬記録がある場合のみ鑑定するというものです。シベリアの場合は、ソ連が埋葬記録を比較的しっかり残していたので、鑑定の件数が伸びました。沖縄の場合は、遺骨と一緒に名前の書かれた万年筆や印鑑が見つかりました。僕は硫黄島で多くの遺骨を収容しましたが、遺品などは1つとして見たことがありません。一緒に遺品が出ることなどほとんどないのです。ですから、遺骨を掘り出しても、鑑定せず、引き取り手がないまま千鳥ヶ淵に収めるということを繰り返していました。

小笠原諸島にある硫黄島は、東京都の一部であり、東京の都心から1,250km、自衛隊機で3時間くらいの距離です。そのような場所で、今も1万体以上が行方不明なのです。2012年7月に硫黄島で出会った、ある遺族の方は、ほとんど記憶のないお父さんを探し、4回目の遺骨収容に来ていました。ものすごく暑い、過酷な環境のなかで、いくら遺骨を収容しても、身元が分かることはほぼありません。それでもその方は「見つかった骨がお父さんの骨かどうかは分からないが、みんなお父さんの骨だと思う」とおっしゃいました。

このとき僕は、遺品があろうがなかろうがDNA鑑定をやるべきだと強く思い、「DNAを採取してデータバンク化し、遺族を探し出してマッチングを呼び掛けるべきだ」という記事を書きました。遺品がなければ遺骨は焼いてしまいます。焼いてしまったら、もうDNA鑑定はできません。そうやって無縁仏を増やすのではなく、しっかり鑑定を進めてもらいたいのです。

 

遺品なしでも鑑定へ

硫黄島の摺鉢山山頂にある慰霊碑

戦後70年にあたる2015年4月、DNA鑑定を拡充すべきだという思いを込めて「遺品を待っていては、鑑定は進まない。遺族の条件も厳しすぎる」という記事を書きました。すると、記事を読んだ国会議員の方が、その記事を取り上げて国会で質問してくださり、当時の厚生労働大臣、塩崎氏が前向きな答弁をしてくださいました。

その結果、2016年、沖縄4地域に限っては、遺品がなくても部隊記録、たとえば名簿や、どこで全滅したなどの資料があれば、全滅したとされる地で収容された遺骨をDNA鑑定できることになりました。僕が書いた記事だけが影響したとは思いませんが、こうあるべきだと書いたその先に、4地域で実現したことは事実です。

しかし残念ながら、2016年、手を挙げる人はいたものの、身元の特定には至りませんでした。それでも2017年、その範囲は沖縄10地域に拡大されました。これも残念ながら成果は出ませんでした。しかし、ガダルカナルやニューギニア、サイパン、フィリピンなどでも同じことをやるべきです。沖縄しかやらないというのは、ほかの地域の戦没者遺族に対する差別です。そう思っていたら、別のルートから、その扉をこじ開ける取材をすることになりました。新聞の神様っているなと思いました。

2018年、京都のお寺で講演を頼まれた際、関係者の女性が世間話の延長で「祖父が硫黄島で亡くなった」という話をしてくれました。僕は「DNA鑑定を申請してみてはどうか」と言い、女性は試みましたが、門前払いされました。女性は「沖縄では、やっていますよね?」と粘りましたが、厚生労働省は「あれは試験的にやっているので、先のことは、成果を見て決める」と言ったそうです。それを聞いて僕は「だったら沖縄と同じ条件を整えよう」と思い、次の行動を起こしました。

硫黄島で亡くなった、福岡の近藤龍雄さんという方のお孫さんと縁があり、僕が龍雄さんのいた部隊を探すことになりました。僕は遺族ではないため、情報の入手はかなり困難でしたが、それでも龍雄さんの部隊が硫黄島の大坂山地区にいたということを突き止めました。しかし、「沖縄の10地域」と同じ条件を整えたのにも関わらず、厚生労働省は「遺品なし」という理由で、DNA鑑定を拒否しました。

 

書いただけでは終わらない

大坂山地区では200体以上の遺骨が収容され、そのうち30件近くはDNA鑑定が可能な状態の遺骨でした。本来なら厚生労働省が遺族を探し出し「あなたのお父さん、おじいさんは大坂山地区にいたという部隊記録が残っているので、鑑定をしませんか」と声を掛けるべきだと思います。民間人の僕が「沖縄の10地域」と同じ条件を整えることができたのだから、厚生労働省なら、もっと簡単にできたはずです。なぜやらないのでしょうか?

2019年2月、「実施条件の緩和が必要、遺品縛りは全部外せ」という記事を書きました。龍雄さんはお孫さんだけではなく、妹さん、弟さんもご存命、さらに息子さんも2人おり、DNAの情報が豊富で、条件がそろっていました。それでも鑑定しないのかと思い行動しました。常夏記者は記事を書いただけでは終わらないのです。

自分で言うのもなんですが、これは結構な特ダネでしたから、これをDNA鑑定拡大の鍵にしてやるという気持ちでした。すると、国会議員の川田龍平氏が「毎日新聞にこう書いてあるが、なぜやらないのか」と国会で食い下がり、当時の厚生労働大臣、根本氏は「沖縄で試験的にやっているから、その結果を見ていく」と回答しました。さらに、やらない理由としてもう1つ「DNAは究極の個人情報なので、それを行政が大量に把握することには問題があるという議論がある」とおっしゃいました。

厚生労働省の人たちは、僕が詰め寄ると必ずこの言葉を使いました。「じゃあ、俺のマイナンバーや、俺の納税者番号を消してくれ」と思いますよね。もちろん、不特定多数のDNAを勝手に取得する行為は問題です。しかし、DNA鑑定をしたいと、納得して手を挙げた人の情報を取得して利用することは、全然違う話です。

 

考えよう、お金の使い道

要するに、遺品なしの鑑定は、やり出すと膨大な量になるため、なかなか手を出せないのです。ある厚生労働省の幹部は「成果が出ないと難しい」と言っていました。「沖縄で遺品縛りを外したら何十人の身元が判明した」という結果が出れば、厚生労働省も予算を取ることができます。彼らだって、やりたくないわけではない、拡充したい、遺族の気持ちも分かっている。しかし、財源には限りがあり、成果が出ないとなんともなりません。

残念ながら沖縄では成果が出ませんでした。しかし僕の記事は、ほかの国会議員にも取り上げられ、厚生労働省を動かしました。2019年7月、硫黄島とパラオでも遺品なしでDNA鑑定ができるようになったのです。どちらも島であり、比較的範囲が狭く、部隊情報もしっかり残っていたからです。すると、たった1年の間に硫黄島で2体、パラオで2体の身元が判明しました。2003年から15年以上かけて、硫黄島ではたったの2体しか分からなかったのに、遺品縛りを外した途端に1年で2体です。

「よくやった、英断だ」という評価もありましたが、僕は「もっと早くできただろう」と思いました。ただ、DNA鑑定を政府が拡大したことについて、僕の記事が行政を動かしたとまでは言いませんが、動かすべく努力したことは事実です。ご遺骨をご遺族に戻すために使命感を持って書きました。「全部お父さんの骨だと思う」というのではなく、世界にただ一人しかいないお父さんのご遺骨をお子さん、家族のもとに一人でも多くかえさなければならないからです。

戻せるものをしっかり戻すためには、もっと、予算を広げないといけません。遺骨収容の予算は、以前は20億円ほどでしたが、ここ数年で30億円まで増えました。凄い額のように思うかもしれませんが、われらが前首相の、あのちっちゃいマスクは作って配布するのに、200億円以上かかっています。外国に行って現地調査をし、遺骨を収容して科学的に調査する、それ全部ひっくるめて30億円なんて、ほかの政策に比べて安すぎませんか?米国の戦闘機F35は1機100億円以上するのですが、われらが政府は、それを100機以上買うそうです。米国を思いやるのも大事ですが、お金の使い方はもっと考えるべきです。

 

本当にその土を使いますか?


今は、沖縄の辺野古の埋め立て問題に取り組んでいます。今、米軍が辺野古に新しい基地を作ろうとしているのですが、地盤が柔らかいために、埋め立てをしなくてはなりません。それについて政府は、沖縄の南部の土砂を採掘し、埋め立てに使うという計画を出しています。このことの何が問題かというと、実は、沖縄戦では日本軍の司令部が米国に追われて那覇から南下し、南部が激戦地となり被害が集中したのです。つまり、南部には今も遺骨が埋まり、血や肉も染み込んだままなのです。その南部の土を、米軍基地の建設のために使いますか? 僕は反米主義者ではなく、日本の安全保障上、米国と良好な関係を築くのは必然と思います。しかし、その南部の土を、基地の埋め立てに使う必要はないと思っています。

土なんて日本中にあるじゃないですか。確かに沖縄の外から土を持ってくることは検疫上、問題があります。しかし、それぐらいのことは、政府の責任でクリアしてほしい。南部の土砂には戦没者の遺骨が含まれている可能性が極めて高い。それを、将来戦争の拠点となるかもしれない基地のために使うのは、戦没者を二度殺すようなものだと、僕は思います。僕だけでなく、多くの人が絶対にやってはいけないと声を上げています。僕は新聞記者ですから、記事をがんがん書き、WEBで連載もしています。魂を込めて書いていますので、ぜひ読んでみてください。

米国は、戦争で亡くなった同胞の遺骨収容に力を入れている国です。2018年に、前大統領のトランプ氏と北朝鮮の偉い人がシンガポールで会い、共同声明に署名しましたが、その項目の1つには、朝鮮半島における米兵の遺骨の収容に尽力するというものがありました。そのように、遺骨をご遺族に戻すことを国の使命として取り組んでいる国なのです。

今年の6月3日、参議院の外交防衛委員会が行われ、立憲民主党の白(はく)眞勲(しんくん)議員が政府を追及しました。白氏は「沖縄で米兵も亡くなっているのではないか」と質問し、厚生労働省は「米兵のご遺骨を少なくとも2体収容し米国に帰した」と報告しました。沖縄に米兵の未収容の遺骨があったということを政府が認めたのです。白氏が「南部の土砂にも、米兵の遺骨が埋まっている可能性があるのではないか」と質問したところ、外務省は「その可能性は否定できない」と答えました。この状態で、われらが日本政府は、沖縄南部の土を米軍基地の埋め立てに使うことができるのでしょうか。

 

記者としてできること


僕は、記事を書くだけではなく、行政を良いほうに導きたいと思っているので、政治家の人とも綿密に連絡を取ります。そのようなことをしていると「お前は活動家なんじゃないか」と言われたことがあります。「客観報道としてどうなのか」と言われたもします。

「Aさんがこう言っている、Bさんはこう言っている」。そう両論併記するのも客観報道で、そのやり方がスタンダードなのかもしれません。しかし僕は、客観的事実に基づいて「これはこうあるべきだ」ということも、客観報道だと思っています。また、僕が10冊ほど本を出しているため、大手新聞社の記者に「新聞の本業をやりながら本を書くには、どうしたらいいか」と聞かれたことがあります。僕のやり方をお話しすると「政治家と癒着してもいいのか?」と言われました。「俺の子どもを慶應に入れたいから幼稚舎に口を利いてくれ」と言ったのなら癒着かもしれませんが、僕のしていることは癒着でしょうか?

僕らは、国会議員のオーナー、官僚のオーナーです。僕らが納めている消費税が彼らの給料になっているのです。記者であると同時に一市民です。しかも「戦没者の遺骨を遺族に帰す」、「沖縄南部の土砂を米軍基地の埋め立てに使うな」という方向性は間違っていないと思います。遺骨の問題に限らず、戦後の未補償問題には多くの積み残しがあります。戦争は終わっていません。苦しんでいる人がたくさんいます。そこに光を当て、いい方向に持っていくことが記者としての僕の役割だと思っています。


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